| 1、 |
ウ
流域面積は、県土の約3分の1で、湖面積の約10倍です。流域面積が広いために、霞ヶ浦は汚れやすいといえます。霞ヶ浦の流域に住む人口も、県民全体の約3分の1です。 |
| 2、 |
ア
アオウオはハクレンやソウギョを放流したとき、種苗に混ざっていて、一緒に放流されました。このとき一緒に来たのがタイリクバラタナゴです。
|
| 3、 |
イ
藍藻類は葉緑素を持つ細菌の仲間で、30数億年前に地球上に出現し、大気中に酸素を供給したと考えられています。湖水が富栄養化して、アオコが大量発生すると、さまざまな弊害が出ます。 |
| 4、 |
ア
舟(ふな)塚山(つかやま)古墳は石岡市にあり、大きさは全長186mで県内最大の規模を誇り、関東地方でも天神山古墳(群馬県大田市)に次いで2番目の大きさの古墳です。大きな古墳があることは、霞ヶ浦地方の豊かさを示しています。 |
| 5、 |
イ
常陸国風土記の中で、省略がないのは行方郡の条です。行方郡の条には、行方という地名、無梶川、津済、行方海、麻生の里、香澄の里など霞ヶ浦に関する記事がたくさんみられます。 |
| 6、 |
ウ
霞ヶ浦における海夫の実態は不明瞭ですが、常総地域の水辺で海夫が活動の根拠地とした津(港)の分布が「海夫(かいふ)注文(ちゅうもん)」という文書で確認できます。水運や漁撈が盛んに行われたことは、霞ヶ浦の豊かさを表しています。津は西浦で48、北浦で44ありました。 |
| 7、 |
イ
江戸時代初期、江戸の町を水害から守るためなどの理由で、利根川の河道を東側に移す工事が行われました。浅間山噴火の影響も加わり、霞ヶ浦の水害が増える結果になりました。 |
| 8、 |
ア
霞ヶ浦では、20カ所近くの湖辺で干拓事業が実施され、湖面積の約1割が農地になりました。最も大きいのは稲敷市にある本新島(もとしんしま)干拓で約560ヘクタールの湖面が水田に生まれ変わりました。延方干拓は潮来市にあり、面積277ヘクタールで、2番目の広さです。高浜三村干拓は88ヘクタールです。 |
| 9、 |
イ
霞ヶ浦は水道用水の水源になっているため、CODの環境基準は3ミリグラム/リットル以下と定められています。1978年ごろ10ミリグラム/リットルを上回っていましたが、近年は8〜9ミリグラム/リットル程度です。 |
| 10、 |
ア
湖沼の富栄養化原因物質は、主に窒素とリンで、植物プランクトンの栄養分となります。植物プランクトンが多くなると、水道水などの利用に支障が生じるため、下水道整備などを進め、窒素とリンの湖内流入量を減少させることになりました。 |