KASUMIGAURA WAVE
 
 
霞ヶ浦湖岸の現地踏査(2005年6月26日実施)
(財)土木研究センター理事なぎさ総合研究室長 宇多高明

 
1. はじめに

2005年6月26日、(社)霞ヶ浦市民協会主催の霞ヶ浦「湖岸めぐり」が行われ、34名が参加して各地の湖岸状況の観察を行った。ここでは、この現地踏査時に撮影した写真をもとに観察結果を要約する。現地踏査では、土浦を基点として時計周りの方向に湖岸状況を観察した。ここで取り上げる地区は、土浦市沖宿、麻生町今宿、稲敷市(旧桜川村)浮島、土浦市蓮河原である。図-1(未完)には踏査を行った4地点をまとめて示す。

2.観察結果

(1) 土浦市沖宿地区
 土浦入りの沖宿地区(田村寄り)では、湖岸に沿うようにして設置された人工浮島(植生筏)において特異な風景が観察された。この状況を写真で示そう。まず写真-1は、遠方に土浦市街地北部を望みつつ、緩やかに湾曲した湖岸線の付け根付近の状況を撮影したものである。この位置から見ると、湖岸堤の沖に設置された人工浮島の右(西)側では浮島上に十分な植生の繁茂が見られるのに対し、左(東)側では当初同様に設置されたはずの浮島が流失し、浮島を固定していた杭のみが残されている。写真-1の撮影地点よりやや南東側の、遠景に土浦市街を望む位置から浮島を撮影したのが写真-2である。ここでは、写真-1で観察された特徴がより顕著となり、ほとんど全部の浮島が流失し、係留用の多数の杭のみが残されていた。ところが写真-2の撮影箇所からさらに東へ向きを変えて撮影すると、写真-3のように再び浮島上では植生の繁茂が著しくなっていた。また詳細に観察すると、同じ写真の中で東側ほど植生の繁茂が良好であり、これは写真-1に示した西側ほど植生の繁茂が良好という特徴と全く対照的な特徴である。
現地状況から判断すれば、人工浮島は湖岸線からある距離離れた場所で現況湖岸線とほぼ平行に設置されたと考えられる。また浮島の仕様は沿岸方向にほぼ同一であったと推定されるので、写真-1,2,3に示した場所的相違が現れる原因は、外力の非対称性に求めなければならない。人工浮島に作用する最大の外力は風浪である。風浪は風向と同じ方向に主な作用が起こる。いま、湖岸線のあらゆる地点において波が湖岸線に対して直角方向から入射するのであれば、写真-1,2,3のような変化が起こることは考えられず、浮島は時間経過とともに例えば老朽化が進んでランダムに壊れるべきである。実際には場所的に非一様な破壊が進んだという点は、波が湖岸線に対して大きく斜め入射していることを意味する。
土浦入りの沖宿地区では、湖岸線が蛇行しているため東側からの波浪はやや遮蔽されており、主な作用は冬季の西風作用時となる。このとき作用を直接受けると同時に、図-1に示したように対象地点付近で湖岸線が緩く突出しているために、突出部では波の集中が起こり、その結果上述の観察結果が見られたと考えられる。
このことは、消波施設などの設計においては、湖内の当該地点の位置と、そこへの風波の作用方向を十分吟味することが必要なことを意味している。

(2) 土浦市沖宿地区での粗朶消波工の流出状況
 霞ヶ浦の湖岸沿いの多くの地点では、間伐材による粗朶を用いた消波工が多く造られてきている。土浦市沖宿地区(戸崎寄り)では、消波工の部材として使われていた粗朶が波浪作用で流出し、それらが大量に湖岸に打ち上がるという状況が観察された。写真-4は、ハス田の排水樋門の右(西)側での観察状況である。ヨシ原と排水樋門の間にある狭い湖浜に大量の細い流木が打ち上げられているが、これは消波工から流出した粗朶である。流木は比重が小さいために湖岸へと打ち上げられ、波の作用で汀線付近に集積したことが明らかである。
 一方、流木として流出した材料よりも問題なのは、粗朶の一部が粉々に粉砕されて湖岸へと打ち上げられたことである。この場合も破砕片は比重が小さいために汀線付近へと運ばれそこに集積していた。この状況を示すのが写真-5である。ノコギリ屑のように大量の木片が汀線付近に浮かび、あたかも油漏れ事故のあとの海岸のような状況を呈していた。
 これらの状況から判断すれば、消波工材料として粗朶を用いることは耐久性に欠けるものであり、波浪の作用により消波工の材料が流出し、また破砕片が汀線に大量に堆積して湖岸の環境の劣化要因となると考えられる。粗朶の破砕と流出に関しては、粗朶の比重が小さいことから浮力が働き、波浪作用時に上下方向に変動して外枠との間で摩擦が起こることが大きな要因と推定される。

(3) 麻生町今宿地区の消波工背後に形成された舌状砂州
 霞ヶ浦左(東)岸中央部に位置する今宿では、波浪対策として消波工が建設されていたが、消波工の建設後その背後で特徴ある地形変化が観察された。まず写真-6は、南端の消波工の背後に形成されていた舌状砂州である。正面に見える捨石製の消波工の南(左)端と隣接の排水樋門の導流堤の間からの波浪侵入により、大きく湾曲した汀線が形成された。湾曲した汀線に沿って規則正しい凹凸が見られるが、この凹凸はビーチカスプと呼ばれるもので、比較的勾配が急な海(湖)岸で形成され、海浜で観察される特徴的な地形の一つである。ビーチカスプを正面から撮影したのが写真-7である。赤白のポールの間隔は20cmであることを考慮すれば、カスプの間隔(山から山までの距離)は60cmであり、山の位置では粒径の大きな礫が堆積しているのに対し、谷の位置では相対的に細粒となっていることが分かる。これらはビーチカスプの一般的な特徴であり、海岸でも同じ状況が観察される。ただカスプの間隔は数mから25m程度の大きさが多いことからすれば、写真-7の状況はそれらの1/10〜1/40のミニチュア版を観察していることになる。
 写真-8は、写真-6で右上に見える柳の木を過ぎた付近から舌状砂州の先端部を撮影したものである。消波工に向かって緩やかに湾曲した汀線に沿ってカスプが発達し、カスプの先では水面がわずかに盛り上がっているのが見て取れる。ここで注目されるのは、現況汀線の陸側には粗砂が堆積した区域が帯状に延び、さらにその陸側には細砂で覆われた帯状区域と何列もの同じ特徴を示す区域が帯状に配列していることである。これらは湖水位が高い時期の波浪の作用が過去に繰り返され、その時の波の作用が海浜地形に記録されていることを示している。またこの写真のように消波工に向かって粗砂および礫が堆積している点は、消波工の南側の開口部が十分広く、そこからの侵入した波浪エネルギーレベルがかなり高いことを意味する。
 さらにこのような消波工背後の舌状砂州は、周辺域から次々と砂が運び込まれ堆積して形成されるものであるために、一般に舌状砂州の先端部では勾配が 1/2と非常に急になる。このことは、湖浜利用時、例えば子供の水難事故の一因となる可能性があるので注意が必要である。沖には離岸堤があって波が遮られて静穏なために、消波工背後は非常にフラットで浅いと勘違いすることが根底にあると思われる。
 写真-8の右端近くには消波工の開口部が見える。この開口部からは波の侵入があるが、開口部沖に別の消波工が設置されているために、侵入波浪のエネルギーレベルは低い。しかしそれでも幾分かの波浪が汀線へと到達することができる。この波浪によって湖岸線には別の特徴的な現象が観察された。写真-9である。湖内へとシバのような植生が繁茂しそこでは植生が密生して生育しているために消波効果が発揮され、湖岸が安定していた。ところがその両側では波が減衰せずに湖岸に達したため、両側で汀線が後退し、フック状となっていた。手前側のフックを観察すると、植生帯の付け根では柳の根が露出するとともに、汀線付近を粒径の大きな砂礫が表面を覆っているのが分かる。この状況から判断すれば、植生帯付近から手前方向への沿岸漂砂が生じ、これによって侵食が進んだと推定される。
漂砂の下手側へと移動して再び湖浜状況を撮影したのが写真-10 である。写真上端付近に見えるのが写真-9に示した植生帯である。植生帯の手前側でフック状となった汀線は、それに隣接するヨシの群落に接続し、この群落が沿岸漂砂の流出を止めているため安定していることが見て取れる。これと対照的に、ヨシ群落の手前側では湖浜表面が礫で覆われており、ヨシ群落の前方と比較して汀線が再びフック状に後退している。これらの特徴は、前方の植生帯付近から写真-10 の下方へと沿岸方向に砂が移動し、植生帯やヨシ群落など砂移動を止めるものがあればそこで砂の移動が一部止められるものの、それらの下手側へと砂移動が生じていること、またその場合細粒分の移動が著しく、粗粒分が湖浜に多く残されることが分かる。このような地形変化は、写真-9に示した植生帯の両側でフック状汀線が見られること、また写真-9の植生帯が離岸堤の開口部背後に位置することから、主に開口部からの侵入波浪によって引き起こされたと考えられる。

(4) 稲敷市浮島の湖浜
 過去に浮島地区では多数の突堤が建設され、それらの突堤間で浚渫土砂を用いた養浜が行われた。現地踏査ではこのようにして造成された湖浜の状況を観察した。写真-11 は、南東部に位置する、ある突堤の付け根の状況である。突堤はコンクリート護岸の沖合に造られており、木製である。この木製突堤の付け根が完全に破壊され、水面が連続していた。建設当初、この木製突堤は護岸と接続し、突堤間には砂が入れられていたことを考慮すれば、突堤の付け根の破壊によって養浜砂の急激な流出が起きたと推定される。
湖岸線に沿ってさらに東側へ進み、東部で撮影したのが写真-12 である。突堤の西側には三角形状の前浜が残されており、また護岸上にも細砂が打ち上げられている。そして護岸上を一部の砂は突堤の付け根を超えて下手側へと運ばれていた。このように突堤の西側端部に三角形状に湖浜が形成されていることは、この砂浜が北西側からの入射波の作用で形成されたものであることを示しており、この突堤では護岸との接点が破壊されていなかったために、下手(東)側への砂流出はかなり抑制されたが、一部の砂は護岸上を通過して東側へと流出したと推定できる。
さらに東側に移動すると、写真-13 のように湖面に向かって右(東)側で広く、西向きに狭まる安定した湖浜があり、護岸のり面の前面には植生帯の繁茂も見られる。植生帯が繁茂していることを考慮すれば、湖浜は十分安定していると言える。この理由は、この付近の突堤では波浪により壊れずに安定して機能を発揮しただけでなく、そもそも沖合の海底が浮島周辺では南東側に深くなり、したがって波浪の作用がそれだけ強まると同時に、汀線への斜め入射角も大きくなることが原因していると考えられる。

(5) 土浦市蓮河原地区
 土浦市蓮河原地区は湖浜復元の候補地の一つである。対象地区を北向きに撮影したのが写真-14 である。この写真で注意すべきは、ヨシ帯に挟まれて狭い湖浜が広がっているが、その平均汀線がある方向を向いていることである。この方向角を調べることは非常に重要である。なぜなら、この区域で新しく養浜を計画する場合、この地区の地理的位置、すなわち湖の中での位置は一定なので、そこに吹く卓越風の方向も一定となり、最終的に汀線はこの風波の作用方向と直交して初めて安定化するからである。離岸堤などの施設を設置した場合には、波の方向は局所的に変化するものの、全体的な波の入射方向はこの角によって定まる。このような意味から現況汀線の方向角を調べることは今後の養浜計画の検討になくてはならぬものとなる。

3. まとめ

・人工浮島などの配置検討や養浜計画においては、局所的に見た機能検討を行う前に、それらの施設の配置と湖の形および卓越風の方向について十分検討する必要がある。
・浮島で見たように、既設護岸から沖向きに伸ばされた突堤を造って養浜を行う場合、突堤の付け根から沿岸漂砂によって砂が運び出されないよう、十分な強度と高さを持たなければならない。とくに砂は高水位時に流失し易いことに注意が必要である。
・土浦市蓮河原地区のように新しく養浜を計画する場合、現況汀線の方向角を正確に把握することが計画検討に役立つ。この結果は、形成されるであろう砂浜の安定形を定める上で非常に重要である

4. 今後の課題

 湖岸の現地踏査により、いくつかの興味深い現象の一端を明らかにすることができた。これらはそれぞれ興味深いものではあるが、湖岸での作用波の高さと方向は、観察地点付近の地理的条件によって定まっている。このことから、まず広域の特徴を把握し、その中で個々の写真の位置付けを明らかにすることが必要である。その意味から、最新の空中写真を利用して、まず地形図上に対象地点を示した上で、拡大写真を使って湖岸状況を詳しく分析することが必要である。そのような検討を行わずに、湖岸はどこも一様に波が作用すると考えると、写真-1,2,3で示したような場所的相違が出る原因を明らかにすることは難しくなる。
なお、写真-6以降の写真には撮影日時が記録されているが、これは写真撮影操作上の誤りであり、全ての写真の撮影年月日は2005年6月26日である。
謝辞 本報の執筆にあたっては観察場所の特定には(社)霞ヶ浦市民協会主任研究員沼澤 篤理学博士の協力をいただいた。ここに記して謝意を表します。
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